うちのお宝 「148年の歴史」 和田 英夫君(和田屋代表取締役)

うちのお宝 「148年の歴史」 和田 英夫君(和田屋代表取締役)

一文字三つ星の家紋を染め抜いたのれんが歴史を感じさせる和田屋

我が家のルーツを探ってみました。
和田長左エ衛門尉清重(現在の下関市にある茶臼山の低い山の上に立つ城主)の一族と思われます。
戦国乱世の興亡の波に敗北して船にて日本海を東へ東へと逃れ、現在地に居を構えたものと思われます。
和田家の家紋は一文字三つ星(一文字三つ星。毛利家の家紋と同一のもの)。
毛利一族または毛利家の家臣であったようです。
北陸ではこの家紋を持つ旧家が二軒。
富山県高岡市と石川県中島町(現七尾市)にあります。いずれの方々も同族と思われます。
和田屋の家業を起こしたのは初代與三右エ門。
慶応元年(1865)です。
二代音松、三代栄二、四代栄夫、五代英夫、六代英晃、七代壮央(たけお)と続きます。
初代のころの商いは煮売屋(煮炊きしたもの、総菜、おかず屋)でした。
鶴来町は白山比咩神社の門前町として、また山麓と里方面からの生産物の集散地として古くから栄えた町でした。
当時の荷役人(生産物を荷車で運ぶ人達)相手のおかず屋として充分商いができたようです。
一六市が定期的に開かれ、それは賑わった町でした。
当然花街もあり、最盛期には芸妓衆が100人余もいたようです。
白山さん参詣の亭主族は「やきもち焼きの神様だ」と言って女房にるす番をさせ、色街で遊んで帰りました。
良縁を結ぶ神様がやきもちを焼くはずがありませんね。
また、一六市でしこたま儲けた商人が散財して帰りました。
金沢・小松方面から大勢の人達が遊びに訪れ、楽しく賑わった街でした。
創業148年の歴史は、何ものにも代え難い我が家の宝です。